La Fonte Italian Cooking Studio Perche non vieni astudiare la cucina italiano alla Fonte?

  • 初めての方へ
  • お問い合わせ
  • インスタグラム
  • フェイスブック
  • youtube

トップコラム > KAYANOのイタリア気分 No.19

KAYANOのイタリア気分 No.19

2003年7月号

再びカラブリアの旅

2002年9月に初めて訪れたイタリア半島最南端カラブリア州への長年の私の思い入れは、昨年11月のこのコーナーで御紹介しました。文章でも綴った"決して私の期待を裏切らなかった美しい自然と素朴で親切な人々"を思い起こす度に、もう一度ゆっくり旅をしたいという気持ちをどうしても消すことが出来ませんでした。そして3月に思いたち、4月21日から1週間、まだまだ未開のこの地方に再び滞在してきました。州の西側のみを回った前回でしたが、今回は州全体にアクセスの良い州都のカタンツァーロに滞在しながら日帰りで各地を巡る旅となりました。田舎に興味を抱く人も少なく「ひとりで!」っと思っていたのですが、偶然ロンドン留学中だった生徒の土屋さんが道連れになってくれました。

素晴らしい青い海と砂浜
カラブリアの海岸線は800kmに及ぶ・・・

ここでカラブリアについてあまり知らない方の為に少し、この州について説明しますと、場所はイタリア半島の爪先の部分に当たり、地中海のイオニア海とティレニア海に挟まれています。まるで二つの海を分けるように海岸線をのばしていて、その距離は800kmにも及ぶそうです。内陸の9割が山岳地帯に位置して、平野が少ないのが特徴です。

ほとんどの人々がいわいる第一次産業、農業・林業・牧畜業・漁業に従事しています。山と海に閉ざされている、ギリシャ時代から独自の文化を築いてきました。近代産業の発達は遅れた分、美しい自然が残る魅力的な地方です。ただ、この自然だけでは観光客は訪れないのでしょう、日本人には全く逢わない1週間を過ごすことになったのでした。

ローマから約700km、飛行機で1時間で、カラブリアの ラ メッツィア テルメの空港に着きました。きしきしと音をたてながら回る古いターンテーブルが印象的な小さな田舎の空港です。周辺はワインとマンダリンオレンジの産地で、カタンツァーロに向かう両側は見渡す限りブドウとオレンジの木々です。内陸に向かうので海も見えず、畑の他に何もない上に霧まで立ち込めていたものですから「何て田舎に来てしまったのだろう」と再認識しました。

カタンツァーロのように
断崖の上にある街(ピッツオ)

着いてみると街は切り立った断崖の上にあり、渓谷にかかる長い橋を渡って市内に入ります。眺望は素晴らしいのですが、特別見る建物がなく日本人どころか、イタリア人の観光客にさえお目にかかれそうもありません。 この街は20世紀の初めの大きな地震で街のほとんどが崩壊し、それをきっかけにした近代化で歴史的建造物はほとんど失われてしまったそうです。季節柄だったのかもしれませんが、9時を過ぎる人通りの少ない南イタリアの街というのは初めてでした。カラブリアの食文化を理解するには好立地と現地の人に勧められたこの街は、とにかく静かで平和な街なのでした。

Vの字を描きながら移動する羊達

街から20kmも走れば、美しいイオニア海に出ます。チーズの農家やオリーブオイル製造者を訪ねながら、海添いの村々を回りました。見渡す限りのオリーブの丘の向こうに広がる青い海、ギリシャ時代に迷い込んだような錯角に陥ります。車を走らせていると羊の群れに何度も出くわしました。鋪装された道を100匹以上のアイボリーの集団がゆっくりと歩いて行くのです。車は当然のように羊達が渡り終わるまで待っています。道路を横切り牧草地にたどりついた羊達は羊飼いと牧草犬に追われながら、Vの字を描きながら移動して言行きます。まるでモンゴルの大草原のようです。

レ カステッラの石のお城

魚料理でイタリア中に名を馳せたているレストラン「ダ エルーコラ」を訪ねるために、クロトーネに向いました。そこは紀元前7世紀にギリシャのアカイア人の植民地として建設され、古代においては、富の豊かさを誇って居た街です。(レストラン「ダ エルーコラ」を初め食文化を訪ねたお話は来月ゆっくりさせていただきます。 )

その、クロトーネに向う途中、レ カステッラの街に立ち寄りました。「お城」という名前のこの街の半島の先端には、アラゴン時代15世紀の石のカステッロ(お城)がそびえています。乾燥した空気のためか、完全な形でそこに500年以上たたずんでいるのです。青い海にせり出したその姿は絶景という以外ありません。何百年たっても、カステッロはそこにそびえ立ち、この場所で時代の流れを見つめて来たに違いありません。アラゴン時代に思いを馳せるように、壁にもたれながら、しばらく青い海と空を言葉なく眺めていました。

入場者は私達二人のみ、長時間、貸きり状態のタイムマシンへの乗車気分に浸ったにもに関わらず、一人たったの1ユーロ50(約270円)を払ったのみ。お母さんと小さな子供3人で昼寝をしながらチケットを売り管理までしています。帰りに『近いうちに又来てね!』と挨拶してくれました。「もちろん」と社交事例で答えながらも、心の中では「え~また、こんな遠くに!」とその時は正直思ったんです。がしかし、のどかさと歴史の重みにひかれて再び、行ってしまうかもしれませんね。

昨年訪れたトロペアの街をどうしてもまた見たくて、スケジュールに無理矢理組み込む形で訪れました。街から眺めるティレニア海は限り無くブルーです。

魚網を片付けるトロペアの漁師さんと共に・・・

時間はお昼頃。漁港で魚網を片付ける漁師の叔父さんとお話しました。「今日は4時に出たんだよ、イカとサバが良く捕れて市場で高く売れたよ!これからは何日か海の上で過ごすカジキマグロ漁の季節だよ、この海のカジキは美味しいからね。」とうれしそうに自慢話です。近くで見ているお爺さんはどうやら引退した方のようで、私達の会話にうなづきながらただ、ニコニコと見つめています。どこの国でも自分の仕事に自信と誇りを持った人、それをやり終えた人の笑顔は本当に素敵です。

「リア-チェの戦士達」の像
(絵ハガキより)

カラブリアの最終地、レッジョカラブリアの考古学博物館は是非訪れたいと思っていたところです。1972年にダイバーによって偶然発見され、イオニア海から引き上げられた2体のブロンズ像「リアーチェの戦士達」を見るためです。前5世紀頃のギリシャのオリジナルで、人類の遺産と言って良い程、重要度の高い作品です。均整の取れた肉体がすばらしく、その修復と保存の良さは想像以上でした。私の中のカラブリア人のイメージはこの像のようにいつも男性的です。男性も女性も、自然を相手に、決して裕福ではなくても、戦いながら生活を楽しんでいるのです。 この地が2500年以上前から栄え、文化水準が高かったこと、皆必死で生きてきたことを、長い海の底での眠りから醒めたブロンズ像は語りかけているようでした。カラブリアには、自然も歴史も文化も人々の生活にもまだまだ、魅力が潜んでいそうです。

来月はカラブリアでのレストラン修行と食文化散策の旅についてお話したいと思っています。

コラムに戻る