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KAYANOのイタリア気分 No.44

2005年8月号

変わってしまったの?アルベロベッロ

日本は梅雨も明け、本格的な夏の到来! この季節、思い出すのが南イタリアの青い空と海。

強い日ざしのバルコニーにパラソルを立てて、汗をかいたグラスから白ワインをくいっと。その後予定はシェスタのみ!そして目覚めた時に白い街アルベロベッロの街並みが広がっていたら、きっとお とぎの国に迷い込んだ気分になるでしょうね。

アルベロベッロの街には
石造りの家トルッリが連なります

南イタリアのプ-リア州の内陸部(アドリア海からは60km)にあるこの街はトルッリと呼ばれる石を積んで作った白い家が無数に連なります。その光景はまさに夢の街並みです。

この石の家の中で今でも人々が生活を営んでいるのですから、街を歩けば タイムスリップしたような気持ちになります。

ここの街は1996年にユネスコの世界遺産に登録され、今では日本人にも注目の観光都市になっています。私がこの街を初めて訪れたのは1995年、翌年96年にも立ち寄っています。ちょうど世界遺産に登録される頃です。日本では今程、知名度もなく、街はガイドブックの1ページに紹介されている程度でした。

坂道になっているメインストリート

95年は一人旅。とても少ないインフォメーションとイタリア人の友人から聞いた行き方を便りに1時間に1本しか走っていないSDO-EST線というローカル線にバーリから乗って、無人駅のような駅に降り立ちました。そしてこれまた人があまり歩いていない寂しい道をテクテクとチェントロを目指したのでした。

想像を裏切らない可愛い街。坂道になっているメインストリートのトルッリは半分位がお土産屋さんになっていて、皆のんびりと商いをしていました。季節は9月。そこにヨーロッパ人の観光客がちらほら。日本人はまだ珍しいらしい頃で、皆とても親切に対応してくれました。

街で見かけた幼稚園の子供達

坂の途中のお店で買い物をした時、若い店員さんとつい話し込んでしまいました。おしゃべりに気を取られた彼女がおつりを間違えてしまい、それに気が付かず駅で待っている私に1リラもゴマかざず届けてくれたのでした。しかも駅で電車が来るまで一緒に待っていて見送ってまでくれたのです。「なんて素朴で親切な街だろう!」ほんのりと温かい風が心に吹き抜けて行くようでした。

プ-リア地方の他の街でも感じたことですが、人々は飾らず素顔で生きています。素材を生かしたお料理にもそれが良く現れています。

街を外から眺めるのも素敵です

翌年96年は近くの街カステラーナに住むイタリア人の案内とあって、街が一番の美しく映える夜中に街全体が見渡せるスポットに連れていってもらいました。忘れもしない、その日は満月でした。月明かりに照らされ、この世の物とも思えない、夢の街を皆でうっとりと眺めました。

この2年に渡る記憶がアルベロベッロを私のお気に入りの街に仕立ててくれたのでした。

その後、訪ねたのが5年後の2000年。かわいいトルッリはもちろん健在でしたが、街の様子はかなり変わっていました。

お土産屋さんの呼び込みが激しく、人々は商魂たくましくなっていたのです。

細い路地に至るまで、お店の数も増えていました。そして、どの店も代わり映えのしない物を並べているのでした。

それぞれの屋根に家紋のようなシンボルがあります

例の店員さんも呼び込み をしていました。それも日本語で!!! 「私を覚えてますか?」と聞くと「いいえ!」と首を横に振り「日本人は皆似ている から!」言われてしまいました。感じが悪いわけではなかったのですが、私が買わな いとわかると、別な日本人に話し掛け始めました。 その瞬間、百年の恋から冷めた思いがしました。 世界遺産への登録が街を変えてしまったのだと思いました。観光客の増加とともに皆 ずる賢くなってしまったのでしょうか?日本人は皆同じ顔で、お金にしか見えないの かな?5年前は皆、ゆとりがあって、もっとのんびりと優しくおもてなしをしてくれたのに。。。「お金は素朴な人々を変えてしまった!」私は人々を冷ややかな目で見、 そして街自体にも興味を失いかけていました。

しかし、時を同じくして、私の南イタリアのマンマとも呼べる人に出逢ったのです。

「マリア マタレーゼさん」 私にとってアルベロベッロの救世主でした!

このお話の続きは来月また....。

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