La Fonte Italian Cooking Studio Perche non vieni astudiare la cucina italiano alla Fonte?

  • ラフォンテの風
  • ラフォンテグルメ日記
  • インスタグラム
  • フェイスブック

トップコラム > KAYANOのイタリア気分 No.57

KAYANOのイタリア気分 No.57

2006年9月号

2006年 夏 突然の悲しい別れ

その悲しい知らせの前ぶれが届いたのは7月29日(土)の夜。 留守電に「悪い知らせなんだけど…。電話下さい。」とイタリア人の友人のメッセージが残っていた。コールバックするには遅い時間だったので、私は1日遅れでその悲しい知らせを知ることになった。 それは、7月28日の金曜日 アルベロベッロの青年ジャンピエロ 通称「ジャンピ」がバイク事故で亡くなったというものだった。33歳、あまりに若すぎる突然の死だった。 その知らせに呆然と信じられない気持ちのまま、彼との思い出が走馬灯のように頭を駆け巡っていた。

オストゥーニの風景

彼と初めて逢ったのは2002年 春。私がアルベロベッロのマリアの家に初めてホームスティした時のこと。友人のアルバーノがオストゥーニを案内してくれることになり、彼の車に同乗してきたのがジャンピだった。アルバーノと2人のドライブは彼の恋人に申し訳ないと、彼が誘われたようだった。(私も女として認められたって事?そう、イタリア女性のジェラシーはかなり怖いらしいから…。)

ジャンピは新聞や雑誌に記事を書くジャーナリスト、当時28歳でアルベロベッロの市会議員でもあった。アルバーノは弁護士、知識階級の彼らは車内で熱いディスカッション。当然、私のイタリア語ではお手上げ!「イタリアの国政?それとも経済?」って程度の理解だった。意見交換の白熱振りに自分の意見をはっきり言うイタリア人気質を改めて感じたのを覚えている。窓の外は見渡す限りのオリーブ畑、流れる風景を私はぼんやりと眺めていた。

オストゥーニの街

オストゥーニに着くと、今まで無視していた私に気を遣ったのか2人共易しいイタリア語で街の歴史を語り、親切にアテンドしてくれた。「両手に若いイタリア男」を伴って、ギリシャの面影残るアドリア海を望む白い街へ小旅行。なんとロマンチック?そして贅沢だった!ことか…。バールでジャンピは3色ジェラートをご馳走してくれて、日本のことを興味深そうに聞いていた。「いつかkayanoを訪ねて行くからね!」 そしてそれが実現し、次に彼と会ったのは2004年の3月 東京だった。

アルベロベッロと白川郷の姉妹都市調印式に彼は市会議員として参加した。マリアと市長と男性議員3名、計5名の団体。セレモニー後、2日間の東京滞在はお世話になった恩返し、私がアテンドすることになった。

夕方着いた5人とイタリアンレストランで食事。皆さんお疲れなので早い解散となった。その後ジャンピは深夜2時まで東京を歩き回ったそうだ。 次の朝「東京はアクティブで魅力的な街だね。きっとまたゆっくり来るよ!」と語っていたっけ。あの朝はラフォンテでイタリアンスタイルの朝食を用意。とても喜んでもらえた。皆私の焼いたパンを頬張り、カフェラッテを美味しそうに飲んでくれた。ジャンピは「kayanoのマチェドニアは絶品!」と褒めてくれた。

熱唱するジャンピ

その日はイタリア語を話す生徒が集合して東京見物。皇居・浅草・六本木。彼だけ単独行動で半分迷子になりかけていたそうだが「アミーチ(友達)!なんで僕を探しているの?ここに居るよ!」と人懐っこい笑顔は皆の人気者だった。英語も堪能に話した彼、すぐ誰とでも友達になれる魅力的な青年だった。 私はレッスンで午後からの参加になったが、その日は最期の夜、六本木ヒルズの展望台で東京の夜景を眺めながら、はしゃいでいた彼をよく覚えている。

最期まで残ってくれた生徒達とカラオケも楽しかったなぁ~。皆で声を合わせてカンツォーネを歌ったり、ジャンピはビートルズナンバーを熱唱していた。お返しに私は演歌で日本の女心を歌い上げて大うけでした。(たぶん意味はわからなかったでしょうが…)

深夜の帰宅、夜道が危ないからと4人のイタリア男性が私を家まで送ってくれる事になった。「慣れた道だから平気!」と言っても、私が家に入るまで4人は並んで見守ってくれていた。

全員とのお別れのバッチ(キッス)はとても照れくさかったな~。皆しっかりハグしてくれた。「あぁ~こういう友情ってお金では買えないんだよね。」と人生の一つの喜びを味わった気がした。そう最高の夜だった。

今でも、家の前で路地先を見ると、長身のジャンピを中心に4人が手を振る姿が見えるようだ。全て素敵な出来事ばかり。そして、もう2度とない事ばかり。だって彼はもうこの世にいないのだから。

例え物事が上手く運ばなくて気持ちがどん底に落ちてしまったとしても、生きてさえいれば、たとえ立ち直るのに時間がかかっても、少しずつ心に希望が生まれ、必ずまた歩き始めることが出来る。 この世の中で一番尊いものは命と教えてくれた彼の死を通して、これから日々を大切に生きて行こうと改めて思い返した。

コラムに戻る