KAYANOのイタリア気分 No.8
2002年8月号
イタリアの夏
夏。それはイタリア人が一番素顔を見せてくれる季節のような気がする。
イタリア人の一般的なイメージと言えば「陽気で、明るく、情熱的、遊んで、歌ってばかりで、仕事はしない...」といったところでしょうか?イタリアで暮らす前は、私もそんな姿を想像していたのですが暮らしてみると違う事にすぐに気が付いた。(彼等は結構シリアスで仕事好きなんです。)
夏、殊にバカンスが近づくと、大方のイタリア人は一般的なイメージの通りにぴったりとはまってくれる。彼等の特性を太陽も知っているのか、日が長く、夜は9時過ぎまで来なかった。
私が初めてイタリアで夏を過ごしたのは、フィレンツェ。長く暮らしている日本人の友人が居たこともあり、初めからイタリア人の生活に触れることが出来た。皆、私を異国から来たお客様として温かく迎えてくれた。
生活を始めた4月から3ヶ月間はホームパーティーに招待されたり、一緒にドライブに行ったりと楽しい生活をしていたが、7月に入るとイタリア人の様子は一変する。私の存在を忘れたかのように、皆バカンスの事を考え始めたのだった。一番親しくしていたファミリーは、山で2週間、海で2週間、トータル1ヶ月間、何もしないで過ごすそうだ。
どうですか?このバカンスの過ごし方。
「陽気で、明るく、情熱的。遊んで、歌ってばかりで、仕事はしない... 」イタリア人のイメージに重なりませんか?でも、彼等はその1ヶ月の為に、1年間真面目に働いているのですから、誤解のないように...。
8月のフィレンツェは本当に寂しかった。お店は大方しまってしまい、日中は石畳に夏の太陽がジリジリと照り付けていた。夜街を散歩しても知り合いに会う事は出来なかった。イタリア人不在の街を訪れるツーリストだけがやけに目立ち、いつもは華やかに聞こえるドゥオーモ(大聖堂)の鐘の和音が寂しく響いた。イタリアで感じた、初めての孤独感だったかもしれない。
ただその後、8月の後半にはイタリア人の招きで、ロンバルディア州のコモ湖で数日間私のバカンスを過ごす機会を得た。
湖面を眺めならが読書をしたり、昼寝をしたり、特別することもなく静かな時間をすごしたのですが、大都市での孤独が癒されるような有意義な時間だった。その時、イタリア人がバカンスに行く気持ちが良くわかったのでした。
これも、イタリアの夏の風物?と印象に残っている事がもうひとつある。
南イタリアのプーリア州にある、フォッジャという街に友人を訪ねた時の事、季節は9月の初めだった。友人は30代前半で、小学生の子供と恋人の3人暮らし。(昔に離婚をしたらしかった。) 友人宅で夕食をすませて、9時頃、「さあ出かけましょう!」と街に繰り出す。子供は常識のように置いたままだった。(どうも子供は子供の集ま りがあるらしい。)迷わずにめざした広場のベンチに行くと、もう何人か居て、その後も、親しそうな仲間が次から次へと増えてゆく。「約束したの?」と聞くと「毎日ここに来るのよ!」と言う。
皆、バカンスから戻ったばかり、真っ黒な顔をして、イタリア人のイメージその物 だった。街角では、アマチュアバンドが演奏をしていて、大同芸人みたいな人がそこらに居る。今夜はフェスタ?っと思った位だ。彼女のところには、3日間滞在した が、毎晩、フェスタはくり返された。日本に戻って彼女から届いたハガキには「仲間達と広場のベンチで待ってるね!」だった。毎年8月になると、イタリア人達は今頃、1年で一番、素顔で居られる季節を送っているのだなと思い出す。