KAYANOのイタリア気分 No.27
2004年3月号
イタリアで初めてパネを焼いた時の事
私がイタリアで初めてパネを焼いたの今から14年前の90年のこと。ローニャのシミリ姉妹の教室で"Corso di Pane Base"(パネの基礎コース)を受けた時の事だった。「パンはフランスが一番!」と思っていたし、「イタリアでパン?」という疑問もあった。しかしコースの内容がとても充実していたので「何ごとも勉強!」っと軽い気持ちで受講を決めたのだった。私はその時、すでに料理教室のアシスタントを数年勤め、駆け出しながら講師の仕事も初めていた。そんな中、見識を広めるため休職しての留学だった。ボローニャで勉強を始めた頃の私には、イタリア語が出来ないくせに日本で料理を教えていたという自負もあった。当然パンのレッスンを受け持ったこともあった.....。
レッスンの初日、そんな私の自信が真っ向から崩される出来事があった。少人数制だったシミリ姉妹の教室では各自に材料が配られ、それぞれが生地を仕上げることになっていた。マルゲリータ先生の長い説明の後、デモをある程度見てから始める。言葉が100%でない私は、とにかく見よう見まね、プラス自己流で生地をこねはじめた。バンバンと音をたてながら気持ち良く生地をパンチングする私、そこに飛んで来てマルゲリータがしたことは、私の両手めがけてのパンチングだった。「No! No!」と激しく叫ぶ「Kayanoダメ!生地が可哀相でしょ!生き物なのだから優しくしてあげて!」っとかなりの形相!
日本で習ったパンのこね方は生地を台に激しく叩き付ける方法だった。威勢の良い音を響かせながら鞠(まり)の様に生地をつく要領を教えられた。それまで、それが一番良い方法だと信じていたのだった。 そんな私にパンチ!キョトンとしている私、次の瞬間彼女は私の手のを握って力の入れ方をスキンシップで教え始めた。彼女の手からの温もりが優しく伝わり、彼女がパネをどれだけ慈しんでいるかが伝わって来るようだった。もちろん焼き上がりは最高!今迄にない素朴な味わいがすっかり気に入った。それから私のパン作りの方法は一転し、今では優しく赤ちゃんを扱うように生地をこねている。
後で知った事だが、シミリ姉妹の両親はボローニャで有名なパネッテリア(パン屋さん)を開いていたそうだ。パン職人のお父さんが亡くなってから姉妹で店を継いだが、パネ作りは女性には重労働、中心で切り盛りしていたマルゲリータはすっかり体調を崩してしまったのだった。
その後考えた末、二人で力を合わせ、お父さんの精神を伝える意味を込めてパンやパスタを中心にした料理教室をスタートさせたとのことだった。
マルゲリータからの両手めがけてのパンチングはかなりのショックだった。「イタリアへ来たのだから、日本で学んだ事を忘れて、無垢な気持ちで勉強しなくては!」と "目からウロコが落ちるような" 出来事でもあった。シミリ姉妹の教室開講にまつわる話しを聞いた後はなおさらのことだった。パネを集中的にシミリ教室で習ったことを本当に良かったと思いっている。
この原稿を書くに当たって、久しぶりにその頃のレシピを出して見た。パネプリエーゼ・チャバッタ・カラサウ・グリッシーニ・カサレッチョ ect.習ったパンは25種以上...。レシピはメモで埋まり、総べてを日本語に書き直し、詳しい説明入りになっている。下手なイラスト付きのノートは留学時代必死に勉強した大切な思い出だ。
「最近は『素直な気持ちで学ぶ』と言う事を忘れているのでは?」と懐かしい思い出と古いレシピファイルに自問自答させられる思いだった。