KAYANOのイタリア気分 No.30
2004年6月号
「辛かった」でも今は「素敵な思い出」イタリア修行
エミリアロマーニャ州のリッチョーネに「Ristorante Il Casale (イル カザーレ)」という地元で評判のレストランがある。高台からアドリア海を見下ろすその店は、エントランスを入るなり高級感が漂い、室内装飾やテーブルの配置やクロスにオーナー家族のセンスが満ちあふれている。 「il casale」はイタリア語で「村落とか農家」と言う意味だから、少し名前とアンバランスな感じも受ける。ただ、料理やサービスにはファミリーの暖かさがさりげなく感じられ、ミラノやローマなど都会の高級レストランとは違う気楽さがある。
ここは93年春から8ヵ月、私がレストラン研修をしたお店だ。シェフは次女のマリエラさん。実質お店は、ほとんど彼女が仕切っている。「ロマーニャ地方の女性は働き者で力強い。」とイタリアでも有名だそうだが、彼女こそロマニョーラの代表選手みたいな女性だ。 日本でもレストランで働いた事がなかった私、研修中は戸惑う事ばかり、そんな私に彼女は優しく、時には厳しく、数え切れない事を教えてくれた。そしてテキパキと働く姿は私の憧れだった。私が今、イタリア料理の仕事をしているのは彼女のお陰だと言ってもいいかもしれない。 その後もイタリアへ行く度に電話をしたり、チャンスがあれば立ち寄ったりと親交をはかってきた。
いつも電話で私の声を聞くなり「今はどこに居るの?カザーレにはいつ来るの?」と研修中は厳しかった彼女がいつも優しく対応してくれる。3年前にはラフォンテツアーのコースに入れて14名で訪ねたこともあった。優雅に楽しい時間を過ごし「料理は最高!」と皆とても満足してくれた。そしてこの5月、彼女のエネルギーを又もらいたくて、久しぶりに訪れたのだった。プランッオ(ランチ)の予約をマリエラに直接連絡をしておいたはずなのに彼女が不在。「Buon giorno!」と中に入って「シニョーラ マリエラは居ますか?」と聞くと、イタリア語を話しているのに、なぜかお店の人が焦って中に入ってゆく。
通訳?として呼ばれたのは日本人の研修生だった。ここで研修をはじめて3ヵ月になるという。私が11年前にここで仕事をしていた事を告げて「忙しいですか?」と聞くと「春は日曜ごとに結婚式、リミニで国際会議のある時は夜遅く迄、とても繁盛していますよ!これからはリゾートシーズンですしね。」と答えが帰ってきた。 結婚式・国際会議・リゾートシーズン、私が研修していた時と同じだ。この地方で有名なこの店は春秋には日曜ごとに100名以上の結婚式があり、隣のリミニには学会などに使われる大きな国際会議場があって、会議が終わって深夜にお客さん達はやって来た。皆チップが弾んで大歓迎なのだが、「もう仕事は終わってるはずなのに!」と私だけはとても悲しかった。
母国語の様に同僚とコミニュケーションが取れないとかなりストレスがたまった。言葉がダメなら態度、それでもダメならと最後の手段を取った事があった。それは「泣く事」だった、それも大泣き。心にも無いのに「日本に帰りたい!」と彼らに聞こえるように繰返していた記憶がある。若者達も女性の涙には弱いらしく、その後はかなり譲歩してくれて少しづつ打ち解けていった。休日や仕事が早く終わった日には皆で街に繰り出したりピッツェリアに行ったりもした。そう言えば、私を含めて皆、きれい好きののノンナ(おばあちゃん)からは、「掃除が下手だ!」といつも怒られていた。
もちろん連体責任。そのうちノンナが厨房に入って来そうになると「ノンナ注意報!!」が出され、ひとりが掃除に勤しんだ。 そんなふうに同じ釜のパスタを食べた仲間、研修が終わる頃には、以前のくやし涙は別れの悲しみに染まっていた。 その頃皆で採ったイチジクの木も、ノンナが育てているハーブもそのまま。地下の倉庫から厨房へ続くなだらかな通路を両手に食材を抱えて何度登ったことか.....。 Il Casaleは今でも懐かしさに満ちあふれていた。食事を終えて「イル コント(会計)をお願いします。」というと、マリエラが「もう済んだわ、昔あんなに働いたんだもの。」その優しさに、涙がこぼれそうだった。「KAYANOは相変わらず泣き虫ね!」 近いうちに又、戻る約束をして私達はいつまでも別れを惜しんでいた。
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